日本アマとプロテスト
今週行われた、日本アマチュアゴルフ選手権(利府GC・宮城県・141名・JGA主催)に関西アマチュア選手権19位タイの成績により出場した荒川祐樹(19)は、予選二日間7オーバー(78・73)、117位タイとなり、予選敗退となりました。
この決勝には32名が進出、決勝では1対1での対戦、マッチプレーで争われます。
また、今日はその決勝日、若い、17歳と19歳の対決となりました。
祐樹は昨日、早速、報告とレッスンに来ました。彼にしては初の、日本アマ出場。普段の試合にはない空気は漂っていたと思います。
こういう場ではなかなか、実力を発揮することが難しくなります。思い切ってダメ元で行くか、より謙虚になるか・・・
自分のプレーより、周りの影響を受けます。
これからも、もっと、メンタル面、考え方に向上心を持ち、それをプレーに活かせるようがんばってほしいと思います。
また、鍋谷太一(18)は7月9日~11日の3日間、54ホールのプロ認定試験、二次テスト(片山津GC・白山コース・7118ヤード・パー72・129名・石川県)を受け、3日間、通算+4、13位タイとなり、通過することが出来ました。
結果はこちら↓
http://www.pga.or.jp/pgaplay/score.html?id=454
今週は、当初、北陸に台風上陸が予想され、競技が短縮されることもあると覚悟していました。
練習日前日、この日はショットの調子がかなり、悪くなり、左手のマメがつぶれ、テーピングをしてのラウンドでした。
練習しようにも、ボールが打てず、この日は宿舎に戻ることにしました。
指定練習日の朝、宿舎の庭でアプローチ練習。テープグルグル巻きです。。
ショットに不安を抱きながらも初日は73で何とか持ちこたえました。後半はロストボールになって、ティーグラウンドまで走って戻るということもあったようです(当然カートはありません)
二日目の練習場。手は少しましになりましたが、パットの調子が悪くなり・・・
これには私は「プレッシャーを感じているな・・」と思いました。
練習グリーンでもショートパットがなかなか決まらないという感じで時間が来て・・・スタート・・・
前半は何とか耐え、パープレー。後半はその中々決まらないパットからアイアンのリズムが崩れ、40・・・
二日目は76です。ショット数は41、パット数は35・・・パットが全くと言っていいほど決まりません。
よくあるパターンです。内容を聞きましたが、パットが決まらなくなると、少しでもピンに近づけようとし、グリーン端に切ってあるカップを無理に攻め、少し外れて深いバンカーや難しい傾斜のアプローチを強いられるというパターンです。
また砲台グリーンの傾斜に蹴られて、バンカーに転がり入り、バンカー左足下がりのライから、砲台グリーンを狙うという、寄せることがかなり難しいバンカーショットを余儀なくされたそうです。
このコースの砲台グリーンではそうは簡単に攻めさせてくれません。
2日目、順位をかなり落として、31位タイ。最終テスト進出は29位タイまでです。
でもこの日は、ドライバーショットがよかったようです。明日に期待が持てます。
よし、今日は、気晴らしにうまいもんでも食べにいこ!(大屋さんからうまいもん食べて!とメールいただいていました)
そして・・・
片山津温泉地へ行き、イタリアンを食べました。
最終日はマメの痛みもなくなり、朝の練習場から快調です。朝から近くの練習場に行きましたがネットの上をバンバン越えて、奥の荒れ地まで飛んでいます。
そして、コースに入り、また練習。このネットのはるか上も越え、かなたまで飛んでいきます。
気合充分です。この息子の姿を見て、私は目頭が熱くなる同時に、「いける」と確信しました。
前半はボギーが先行するも、前半最終ロング2オンし起死回生のイーグル。1アンダーで折り返しました(このロングは3日間とも2オンし、この3日間だけで4アンダーです)
そして後半へ。
後半出だしから3アイアンでティーショット。私もこのクラブ選択に正解だと思うと同時に攻める気持ちもありながらリスクも考えてるな・・・と感じました。
16番ロングも2オンし、バーディを取って
、気持ちが楽になったと言っていました。
そして、最終ホール。
セカンドを8番アイアンでピン左2Mに。
無理に狙わず、合わせるだけのパットで、タップイン。なんなくパー。
最終日、ショット数37、パット数34で71(35・36)
この日もパットはなかなか決まらず、苦しんだようですが、結局13位タイでのフィニッシュ。最終テスト(広島カントリー八本松コース)へつなげました。
こういうプロテストは普段のトーナメントと違う雰囲気です。「通過しなければならない」というゴルフではメンタル面も全く変わってきます。
今回、カットライン下から、順位を上げてよく通過できました。
私は「この経験はどんなトッププロでもどこかでこれを乗り越えてる」と息子に告げました。
最後はニコッと笑顔でした。