医者になる
西郷広也(中学2年)と広也の両親です。広也は、「これからゴルフよりも勉強、医学部に進み、医者になる努力をすることになる」と本格的に医者を目指すと言ったそうです。
学校、両親にもそれを伝え、本人、意思が固まったとのことです。
広也が小学2年の冬、初心者の時、入会してきました。まだ試合に出たことのない広也はダンロップパースリーの予選の時、見学も兼ねて応援に来てくれたことを思い出します。ちょうど、太一が初めて、その予選を通過したときでした。「僕も出る!」そうお父さんに言ったそうです。
あれから、週一回のレッスンに6年間通い続けました。
小学生関西予選(ダンロップパースリー)では、小学4年から6年生まで連続6回通過、全国大会へもJGA含めて4回出場しました。また、6年生の最後の予選では、49(パー54)の5アンダーを記録しました。
お父さんの努力も大変なものでした。お母さんも遠いところから、レッスンに毎週連れてきてくれました。
最初は西宮から、中学になってからは、北大阪方面から約1時間かけて通っていただきました。
そして飛距離も出るようになり、優勝回数は10回を数えました。ハンデキャップは4まで上がりました。
そして本人、ずっと飛ばしたい・・・と言っていましたが、ついに先週のレッスンでは、スタジオ計測機で300ヤードを越えました。
音も低音ですごいインパクトになりました。
広也、小学5年の時、下北山でいただいた賞状を手ににっこりの写真です。
これからも今までゴルフで培ったことを活かして勉強していきたいと言っていました。
立派な医者になってほしいです。ゴルフの試合にはもうでないかも知れませんが、またコースで出会ったとき声をかけてやってください。