進化と移り気
進化を求めるのと移り気は紙一重かもしれません。常に進化を求めるのと移り気とは違います。
自分では進化、変化を求め、常に今よりいいものを探したり、求めたりすることが移り気になっている場合があります。
私もその違いには気づかないこともあります。
「自分が決めた道をひたすら、信じて歩んでいく人」と「自分が決めたことさえ、信じることができなくてひたすら違う道を探す人」
もし、神がいるとしたらどちらを導いてくれるでしょうか?また自分が神だとしたらどちらを導こうとするでしょうか?
前者はたどり着けば、違うゴールになっているかも知れませんが、確実に前に進んでいる分、なにかにたどりつけると思います。その代わり、道を進んでいるとき、つらいことも苦しいことも経験するでしょう。また、だまされて違う道も経験するかも知れません。それも人生という道かなとも思います。
後者は、決めたことも信じることができないので、どの道を進もうか、あっちか?こっちか?迷っている感があります。
迷っているので前に進んでいません。自分では正しい道を探しているだけで、見ているだけです。ときにはちょっと進んでみるが、やはり戻ってひきさがってまた別の道を探します。
それを進化や変化だと思い込んでいるような感じもあります。
時には、道を歩いて、壁にぶち当たっている前者を「大変だなぁ」と感じ、ときには、自分にその壁がないから幸せを感じたりしています。
やがて何年も経てば、前者は道を歩いている分、すごく前に行っていて、後者からはぜんぜん見えなくなり、遠い存在になります。
後者はずっとそのままで、やがて愚痴をこぼすようになります。
前に進んでいる人は愚痴を言わず、道を歩き進みます。やがて成し遂げることでしょう。