森田宇昭がPGAプロテスト合格
会員の皆様にメールですでに報告させていただきましたが、PGA認定資格プロ(プロテスト)が森永高滝CC(7037ヤードパー72)で行われ、森田宇昭が4日間通算2アンダーで回り、見事合格しました。テスト合格ラインがイーブンパーまでの49位タイまでの難関でした。
私と出会ってから森田がプロになるまでのストーリーは、15歳(中学3年生)のとき、学生服のまま、当時、私がゴルフスミノエでミズノゴルフスクール在籍中、私のクラス(初心者コース)を受講し、基本をスクールで教えました。当時の彼は家でテレビゲームに熱中し、スポーツとは縁がなく、ぶよぶよの体でかなり太っていました。3ヶ月のスクールを終了したとき、電話が入り、個人レッスンを受けたいとのことでした。私は冗談で「そんな体では無理やからやめとき」といいました。そのときはどんな答えが返ってくるか内心は期待していました。すると「なんとかお願いします」との返事が返ってきて、そこから週1回のレッスンが始まりました。
最初は自転車で通っていたのですが、そのうち16歳になり、バイクの免許を取って、バイクで通いたい、またバイクに乗りたいとの相談がありました。私はどっちかにしろ!バイクに乗るならゴルフをやめろとまでいいました。なぜなら私自身、バイクで事故を起こし、たくさんの人に迷惑をかけたこと、また彼がバイクに熱中するがあまり、ゴルフに集中できないことになると思ったからです。それでも彼はバイクに乗りたいと言ったので「好きにしろ!」私は言いましたが、彼にゴルフを本気で教える気持ちが少し薄らいだのを覚えています。
そこから大変なことになるのですが、バイクで転倒し、鎖骨骨折、左手損傷でまたもう少しで後ろからトラックにはねられそうになり、大変な事故が起きたのです。私は命が無事でよかったと思いました。その後、練習場で会うなり、泣きそうな顔で先生の言うとおりにすればよかったと言っていました。そのとき私のレッスン生でプロを目指していた天野君と一緒に当時のスミノエショートコースを回ることになっていたのですが、彼(森田)が左手ギプスをはめたまま「僕も一緒に回りたい」と言い出しました。「私は右手一本でやるか?」の言葉に「ハイ」と元気に応え、そこから彼のゴルフに対する本気が始まりました。
そこから18歳まであちこちのコースを連れていきましたが、17歳位で私の飛距離を超えてうれしそうにしていました。そして「高校を卒業すると同時にアメリカでミニツアーに出たい」と言い出しました。当時の彼は英語など話せることなどできなかったのですが、私のアメリカの友人にたのみ、フロリダでの試合とエントリー、宿泊施設を用意してもらい、私も一緒にミニツアーを経験しました。
その後アメリカで1年あまり、単独で生活し、ツアーも経験し、日本に帰ってきました。そのときは見違えるような体になっていました。今は兵庫県のグランオークGCで修行していますが、彼は人一倍、親に感謝していました。また素直でまっすぐで礼儀正しく、お前がプロになってツアーにでたら人気者になるかなと冗談でいったりもしていました。「ツアーに出るようになったら俺がキャディをしてやる」と言っていたのでなんかほんとに実現しそうです。
またスタジオに遊びに来ると言っていたのでまた会ったら一声かけてやってください。